モアハウス大学の卒業生への奨学金免除アナウンスメントについて

ロバートスミス氏がアトランタにあるモアハウス大学で行われた卒業式でのスピーチで、卒業生の学生ローンをスミス氏が支払うことを発表した。
スミス氏が支払う金額は日本円にして約44億。
モアハウス大学の卒業生達は突然のニュースに歓喜に沸いた。
 
スミス氏はアメリカでもっとも裕福なアフリカンアメリカンの投資家の一人で、強力な影響力を持つ人物である。
このニュースは卒業生だけでなく、多くのアメリカ人にポジティブな影響を与えたとニュースは書いている。
 
このニュースが意味深いのは、スミス氏がこの発表をモアハウス大学で行ったという点である。これをシカゴ大学やカーネギーメロン大学で行っていたら全く別の意味になるだろう。
 

[背景]

 モアハウス大学はHistorical Black Collegeと呼ばれる、主にアフリカンアメリカン男性への高等教育を提供する機関として設立された。

設立された南部ジョージア州では設立当時、奴隷制が敷かれ、アフリカンアメリカンが教育を受ける機会は制限されていた。
アフリカンアメリカン男性は奴隷制によって綿花やたばこ栽培の労働力として暴力的に酷使されており、家族からは引き離され、伝統的な家族制度は奴隷制によって強制的に解体されていた。
このような状況から、黒人の社会的地位はアメリカのなかで最も厳しい環境に置かれ続け、社会的地位向上のためには黒人への高等教育の必要性を汲み、モアハウス大学が設立された。現在も基本的には黒人男性を中心とした学生を受け入れている。(トランスジェンダーの学生も受け入れることをアナウンスしている)
 

[アフリカンアメリカンと男性の不在]

 統計的な事実として、現代においても多くのアフリカンアメリカンがシングルマザーの下で育つ。男性に限定して言うと、シングルマザーの下で育ったアフリカンアメリカン男性は父親、もしくは理想的な男性像を知らず、安定した家庭環境を経験せずに育つ傾向がある。女性についても黒人であるという社会的立場にシングルマザーという状況から経済的に困窮する環境に置かれることが多く、その環境から抜け出すことは容易ではない。このような環境から、アフリカンアメリカン男性は男性として成功とはどういうものかを知らずに育ち、犯罪や薬物に容易にアクセスできる環境からトラブル、例えば事件や犯罪に巻き込まれ、若くして刑務所に行く人もいる。また家族の形が歴史的に欠如しれいるため、若くして婚外子を作り自分の子に父親像を伝えることなく自分の親がしたことを繰り返してしまうことが散見される。

このアフリカンアメリカン男性の社会における不在性は女性へ影響する。長年にわたる男性の社会の中での不在から、男性どうせ去っていくものという諦めや不信を生み出す。不信は女性に社会をまた男性への怒りや恨みを生み出し、またその怒りから派生する自己防衛本能は男性を警戒し、愛情のある関係を築くことを難しくしている。

 

[なぜ男性が不在となるのだろうか?]

 歴史的な背景として、アフリカンアメリカン男性は奴隷制下で労働力としての資本であったことに加えて、奴隷の再生産の重要な役割を担っていた(担わされていた)。

男性は家畜が頭数を増やすために交尾をさせられるように、同じ奴隷の女性と強制的に愛や信頼を無視して性交させられ(”した”のではない)、そのあとは本人の意思に関係なくその女性と二度と会うことなくマスターの下で苦役に従事するか、もしくは高値が付く場合は新しいマスターの下へ売られていった。奴隷制の中で男性が女性の下へと戻ってくることは非現実的であった。本来あるべき男女の信頼や愛情はそこにはなく、暴力的な性交に基づいての労働力の再生産が行われていた。
 
男性を引き離す理由はは労働の必要性だけではなかった。
マスターたちは奴隷同士が信頼や愛をはぐくむことの危険性をよくわかっていた。彼らが愛や信頼を築くと暴力的な扱いを行ってきたマスターへ歯向かう危険性が高まる。
奴隷制という肉体的な暴力の下、精神的にも猜疑心や悲しみ、絶望を植え付けて立ち上がれなくなるくらい徹底的に精神を破壊しようとた。
 
このような歴史は制度上は終焉しているが、アフリカンアメリカン男性の不在性は他人種の家族の形と比べて非常に根強く、現在に至ってもまだこの背景が引き起こす社会的な影響は大きく、差別と貧困の連鎖は断ち切れていない。
 

[希望]

 アフリカンアメリカン全体の地位向上に鍵を握る男性の教育は重要な課題である。

モアハウス大学へ通うアフリカンアメリカン男性のすべてがシングルマザーの下で育ってはいないと思うが、そのような傾向がある環境で育った人は他人種に比べて多いだろう。理想的な男性のロールモデルを知らないままなんとか手探りで大人になろうとし、社会へ出ていこうとしている若い男性もいるはずだ。
彼らが教育を受け、社会へ出て経済的に成功することはもちろん大切なことだ。しかし彼らが成功することは個人レベルの経済的・社会的な成功に留まらず、アフリカンアメリカン全体の成功へとつながる。
自分の人生を自ら描き、自ら努力し、自ら歩もうとする男性の姿はそういった姿を見ることができずに生きてきた周囲の人々にも影響するだろうし、本人にも大いなる誇りと自信を持たらし、それは伝播していくはずだ。
 
モアハウス大学の卒業生の中には、自ら学生ローンの返済をしなければいけない者、シングルマザーである母親が仕事を掛け持ちして学費をねん出してくれたり、母親がローンをいくつも組んで学費を工面したりしている学生はきっといるだろう。
今後社会に出て、社会生活を送っていくなかで彼らはきっと自らの肌の色を理由に新たなる逆風にであうこともあるかもれない、というよりも合うことがきっとある。
社会へ羽ばたいていくというこのような重要な人生のステージに於いて、モアハウスというHistorical Black Collegeにおいてアフリカンアメリカンの投資家による未来への投資が行われたことはスミス氏によって支払われる学費よりももっと大きな意味がある。
 
この投資はすぐに目に見える利益を約束するものではないかもしれないが、人を肌の色に基づいて不平等な扱いをしたり、真実を知らずに偏見に基づいて個人を判断したりすることを乗り越え、調和し喜びにあふれる社会を未来へ実現させるという視点に立った時、非常に意味深い投資だと思う。
金銭的に学生ローンが免除されたことは大きな卒業プレゼントであることは事実だ。
しかしスミス氏の姿から成功とはなにか、そして成功を還元することの意味、未来への希望、アフリカンアメリカン男性に対する未来への期待をくみ取ることができる。
 
社会はこれから大きく変換していく。
そので中アフリカンアメリカン男性が今後果たしていく役割はとても大きい。
私はスミス氏の行動にその光を見る。
社会は彼らに逆風を吹かせ、困難な場面に出くわすことも多いかもしれないが、
大きな役割が彼らに与えられていることを忘れず、どんな試練が訪れようとも誇り高くいてほしい。
彼らは深い痛みを知っている。と同時に、だからこそ、深い愛を知っている。
それは何よりの強さであり、力だ。
彼らの成功と喜びは同じ人種だけでなく多くの人に歓喜をきっともたらすだろう。